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LOVE CHIBA
ラブ千葉のお仕事

Bistro de Cafe Dear From 加瀬野 多江子さん

「身近な食をカフェというるタイルで」

西千葉 カフェ ディアフロム

 Dear Fromオーナー(西千葉)
加瀬野 多江子さん 
https://lovechiba.jp/blog/DearFrom/DearFrom/
 

■母の愛が、飲食店を始めるきっかけに
「子供のころ、あまり体の強い子ではなかったんです。」というカセノさん。食も細く、そんな彼女にお母様は、何とか美味しいもので、栄養があるものを与えたいという願いから、いろんな料理を作り、カセノさんに与えていたそう。それがきっかけで、お母様の料理のレパートリーも増え、その味はまわりでも評判となり、「母はそれがきっかけで、飲食店を始めたんです」とのこと。そんなお母様のお店を手伝い、また「食に対する感謝の気持ち、大切さを知るヒストリーが今に至るんです」という、カセノさんの思いが詰まったカタチになったようです。

■アパレルから転身。カフェのオーナー
でも、最初っから飲食店に勤めた経験と言ってもお手伝い程度。それに当時勤めていたのはアパレル関連。「当初はアパレル関連のお店をとも思ったんですが、なかなか千葉でやるには難しくて」と断念。でもお店を持ちたい気持ちは変わらず、「みんなが集まる場所があったらいいよね」と、実際住んでいた所で、周りの友達の意見もあり、「そうだかココでカフェをはじめよう!」と28歳で奮起したそう。「でも、ココでお店を持つことは大変だったんです」と振り返る。やりたい場所は決まっていた。でも、テナント料はなかなか手出しをできる価格ではなく、テナントを借りる保証金も簡単に出せる金額ではない。そんな中、新しい物件が立つ。

■やり遂げるパワー
新しくできた建物にまわりのテナントよりも安価で飲食店でもテナントが借りれる物件がでた。当初、あきらめかけていたカセノさんは早々に物件を持っている先に企画書のみならず、「ココのこんな店がほしい!」という近隣の方々からの署名も100名以上集めるなどし、それも提出。「どうしてもこの場所でやりたい。それが無理ならカフェをやるのも断念する」と、悔いを残したくないからとことんやるカセノさんのパワーのおかげで無事借りるまでにいたる。

■飲食店は素人同然
お母様の飲食店の手伝いをしていたといっても、その当時は素人同然。でも、カセノさんのスゴイ所は、物件が立つまでの間時間があるったので、カフェを作るまでの専門書のみならず、経営にも精通しなくてはと、必要なありとあらえるものを読みあさる。また、北海道にいいカフェがあると聞けば、現地まで向かいお店の方からの話を聞き、「なんでこの店が人気なのか」を自分で感じたそう。「当時は日帰りで北海道から沖縄まで、それもカフェにこだわらず、人気だと取り上げられるお店には勉強しに行きました。でも、子供はまだ8歳。さみしい思いはさせたくなかったし、忙しいからと言って、コンビニやスーパーのお惣菜は絶対に利用しませんでした。一度甘えたら、また次も甘えちゃうし、子供には手作りのごはんをどうしても食べさせたかったんです。そこが私のプライドなんです。」と言うから脱帽です。

■家族至上主義
そして、当時のカフェを無事OPENさせ、今は西千葉で、DearFromをOPENさせる。でも、そんなパワーの持ち主だけど「私の生活の優先順位は、1位は息子、2位は仕事、3位がプライベートなんです」と家族第一主義なところもまた、彼女の魅力。夜は子供との時間を大事にしたくシフトもきちんと配慮しているそう。当時8歳だった息子さんも今では高校生。「男の子なんて未知の生き物だけれど、」と言いつつも、息子さんをこよなく愛しているのが伝わり、ママの顔をのぞかせました。

■やさしさの裏にある強さ
笑顔が素敵なカセノさんですが、「カフェなんて、厭らしい話になりますが、お金があれば簡単に作れることはできます。でも、その店を続けていくのってホントに大変。それに、カフェをやりたいんですけど。と、話を聞きに来る人は凄く多いですが、実際、店を出すに至った人は本当に少ないし、維持していけている人はもっと少ないんです。」と、話す。また、スタッフとの衝突もありトイレで泣くこともあったとか。でもそれで学ぶことを忘れず、「一人じゃできないと自覚すること。」や、「自分から変わろうとする気持ち」を持ち、「何かあることばかりを不安に思うなら、カフェなんて持たない方がいい」と、悲しいことや辛いことを経験しているからこそ、強くて優しい言葉が言えるんですね。

心配り、笑顔でお店の雰囲気もとてもいDearFrom。これからのカセノさんは野望(笑)をカタチにし続け、展開に注目したいオーナーです。

Dear From 
千葉市中央区春日2‐10‐8